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最高裁判所第二小法廷 昭和32年(オ)764号 判決

上告人 清水シゲ

被上告人 清水犬次郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人土橋岩雄の上告理由第一点について。

原審が適法に確定した事実によると、被上告人(原告)は本件婚姻当事者たる亡清水勘造の実父であるというのであるから、本件婚姻が右勘造の意思に基く届出を欠くため無効であることの確認を求める利益を有することはおのずから明らかである。されば、論旨は理由がない。

同第二点について。

当事者の意思に基く届出を欠いた婚姻が無効であることは、民法七四二条の明定するところであつて、当事者以外の第三者においてもその利益あるかぎり右無効の確認を求め得べく、その第三者が当該婚姻届出書類を偽造した本人であるからといつてこれを別異に解すべきではない。論旨は理由がない。

同第三点について。

原審は、本件婚姻届出当時勘造が戦地に在つたという事実だけから右届出が勘造の意思に基かないものと推断したわけではなく、原判決挙示の各証拠を綜合して勘造の全く関知しなかつた届出であると認定しているのである。

所論は、原審が適法にした右事実認定を争うに帰着するものであつて、採り得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

上告代理人土橋岩雄の上告理由

第一点 原審判決は確認訴訟の利益がないのに之を調査せずして裁判したのは違法であります。

原審判決に依れば夫清水勘造と妻清水シゲとは二回婚姻届をして居つて最初の婚姻は昭和十八年七月一日であるが其婚姻は昭和十九年三月二十三日離婚した第二回目の婚姻は昭和二十年一月十五日其届出をしたものであるが全く夫清水勘造の知らざる間に夫の父であるところの第一審原告(被控訴人、被上告人)及びその妻が清水勘造及び清水シゲの名を以て右両名の婚姻届出をしたものであるから第二の婚姻は無効である、と云うのでありますが凡そ確認訴訟を為すには之を為すの利益がなからねばならぬ本件第一審原告は婚姻の当事者ではなくて第三者である人事訴訟手続法は第三者よりする婚姻無効の訴訟は之を認めて居るけれども然れども利益なきに確認訴訟を起すことは許されない筈であります。

故に其利益の点は訴訟中に之を顕出して居なければならぬのに原告は之に付いて何も云はず裁判所亦之を追求せずして全く利益なき確認訴訟を為したものである再言すれば本件第二回目の婚姻届は今より十余年以前のことであり夫勘造は其時までは生存して居たけれども今は既に死亡して居る次第であるのに十余年後の今日に至り第三者たる第一審原告即被上告人は何の必要あつて本訴を起さざるを得なかつたか第一審原告は夫婦の間に生れた子供が私生子となるからと云うけれどもそれは全く考え違いのことで一顧に値いしないことである、されば原審に於ては此点に於て本件は確認の利益なしとして第一審判決を取消して訴訟棄却の判決を為さざるべからざるに之を為さずして却て実質上の判断を下して控訴棄却の判決を下されたるは確認訴訟に付利益なければ訴権なしと云うことを顧みざるものにて法令違背であります。

第二点 原審判決は信義誠実の義務に違背したる主張を肯定したる不法がある。

被上告人は第一審原告としての主張に依れば昭和二十年一月十五日の婚姻届は夫たる清水勘造の意思に基かざる婚姻であつて其時の婚姻届は被上告人自ら為したものであると主張して居る(原告本人調書)果して然らば被上告人は自己の不法に為したる勘造の婚姻届を十余年後の今日に於て上告人に対して之を主張し此の不法行為の事実を主張することに依て自己を利し上告人を苦しめんとするものに外ならないのである被上告人は婚姻の当事者ではなく第三者である此の第三者が婚姻後十余年に於て婚姻届は自己が偽造したことを主張して当事者たる妻に対して訴訟を提起し国家の法の力に依て自己の不法行為を高唱せんとすることは信義誠実心ある者の為すべき行為ではないと思はる従つて斯かる行為を以て信義則に反せずとすることは法令に違背したる判決である。

第三点 原審の事実の認定は採証の法則に違反したものである。

原審判決は「右届出(婚姻届)は戦地にある勘造の全く関知しないところであつた事実を認めることができ、以上の認定を覆すに足るべき確証はない」と判示してありますが然れども婚姻届出の際勘造は戦地にあつたと云う事実のみに依つて勘造は婚姻を承諾しなかつたとまでの推測は出来ないことである元来本件は被上告人が勘造の承諾を得たと云うて婚姻届をしたものである然るに十余年後の今に於て勘造は承諾して居なかつたと云うことで本件の訴訟を提起して居る即ち最初は肯定し今は否定するのである斯の如く一の事物を年月の経過と共に二様に云う場合には何れの言い分が正しきかは他に証拠がなければ真実の判断は出来ない筈である斯かる場合の立証責任は第一審原告たる被上告人にある筈であるが被上告人は勘造には通知したこともなく同人は承知もして居ないと云う(原告本人調書)唯それだけの事実を云うのみである若し一々之を信ずべきものとせば被上告人が然りと云えば婚姻したこと、否と云えば婚姻しないことになり、得手勝手の言い分をするものであるから到底此分では其言に信を措くことは出来ないと思います法律は自由心証主義を採つて居りますが被上告人の言動の変化に付果して何れが正しかを判断するには此分にては不足であるので何物かの資料なくては事の真相を看破することは不可能と思われます原審判決は採証の法則を誤まりたる法令違反であると信じます。

以上

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